市場のリスクが加速
6月のFOMC声明においてパウエル議長の発言から今まで存在していた重要なキーワードが消えていました。その言葉とは「忍耐強く」という言葉です。この「忍耐強く」という言葉は「金利上昇目標」について語られた言葉です。株式市場などに注入された資金が金利が上昇すると債券などに振り向けられることになるため、株価が下がる傾向があります。
今回この「忍耐強く」という言葉が削除された背景を探ってみましょう。
現在アメリカの経済環境は良好ですが、5月の雇用統計の数字が予想以上に悪かったということがあげられます。米中貿易戦争の影響がじわじわボディブローのように効き出してきたことを物語る数字とも言えます。
歴史に学ぶ円高
歴史を紐解いてみると世の中は常に”円高”が進んだ歴史といえます。1985年9月22日に先進5カ国(G5)の代表がニューヨークのプラザホテルに集まり為替の安定化を図るための合意を結びました(プラザ合意)。そのプラザ合意を締結してからの為替はじわじわと円高を進めそれまで1ドル250円程度であったドル円相場がわずか3年後の1988年には120円まで高騰しています(ドル円チャート年足)。
政権交代で加速する円高
さらに円高基調が進み1995年には一時79円台を記録するに至りました。当時の政府や経済界もこの円高水準に当然のごとく危機感を覚え次第に円安へと政策の舵取りをします。その後年月が経ち政界に異変が起こりとうとう自民党から当時の民主党へ政権交代という事態を迎えます。それからの民主党政権下ではほとんどの期間、ドル円相場は100円以下の状態を推移することになります。
その後、民主党の愚策?が重なりとうとう自民党への政権交代が実現します。その時のドル円は100円以上の円安基調になりました。現在では為替介入という政策が大きく意識されており、米国からもその点は都度指摘されている部分です。これらの点から考えると政権与党である自民党の絶対死守ラインが1ドル100円なのではないのだろうかと推測されます。
円高はどこまで進むのか
現在、米国は対外的に為替介入をしている国に対して数々の厳しい指摘を行ってきます。もちろん日本も例外ではありません。だから日銀が公に為替相場に介入できなくなっているため、ファンダメンタルに頼らざるを得なくなっている次第です。ここにきて米国金利が低下していくということはドルに注入されていた資金が世界中に散らばることを意味します。また世界情勢の不安定さがさらに加速することも考えられます。いまの世界情勢は毎日が歴史的事件が発生しているような時代なのです。その経済的環境を考えると安全資産である日本円が大きく買われる危機が高くなるのです。そして円高はどこまで進むのでしょう?実は1871年にドル円相場が開始された時は1ドル1円という途轍もない円高からスタートしたという歴史的事実が存在します。極論にはなりますが、アメリカ政府の中にもその点を意識している人もいるに違いありません。2019年後半戦は特に為替相場から目が離せない年になりそうです。
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